AGA(男性型脱毛症)を迎え撃つ

30年近くまえ、20歳代の私は頭頂部の薄毛に悩まされ始めました。
最初はつむじ辺りの髪の密度が低くなり始め、そこから歳を重ねるごとに頭皮が透けて見える部位が拡大。
あっという間にカッパ状態になりハゲの悩みを抱えるようになりました。
いま考えると完全なAGA(男性型脱毛症)の初期症状なのですが、当時の私はAGAの存在を知りませんでした。まだあの頃は育毛剤や発毛剤は一般的ではなく、自毛植毛手術というものは存在すら知りませんでした。


結果、私は40歳代になってから親和クリニック大阪院と出会い、自毛植毛にて頭髪を取り戻しました。
もし、もっと早く自毛植毛と出会えていたら…。今になってそんなことを考えたりもします。

対AGA処置は早いほど効果的

AGAに悩まされている方はご存知でしょうが、進行性で手をこまねいていると症状が広範囲化します。
気づいたら薄毛の範囲が広まり、手立てを講じるには様々な困難をクリアしなければならないということにも繋がります。
AGAは遺伝性の脱毛を伴う症状です。疾病として扱われていませんが、その抑制は病気同様に早期発見・早期処置が効果的です。
そのため、過去の私のように若年時に発症し急激に進行していった場合、対処せずにいると時間の経過とともに薄毛の部位が拡大していきます。
現在では自毛植毛以外にも、発毛剤もクリニックに行けば手軽に入手できます。
経験者の立場から言えば、若い時期の薄毛は人生に暗い影を落とします。
だから、頭頂部や生え際の薄毛化が気になり始めたら、迷わず専門医でのカウンセリングをお勧めします。

参考:親和クリニック大阪院
https://shinwa-clinic.jp/osaka/

自毛植毛の歴史を振り返ってみる

そんなAGAですが、遺伝性の症状であるため、かなり昔からあったわけです。
古くは戦国・安土桃山時代。歴史書を紐解いてみるまでもなく、豊臣秀吉や明智光秀などがハゲ頭であったと知られています。
ハゲネズミやキンカン頭など、織田信長から揶揄されていたと言われています。

それに対して自毛植毛手術の存在は、最初に考案されたのは1800年代だと言われています。
その後、1930~40年代に、奥田庄二氏、笹川正男氏、田村一氏という三人の医師により自毛植毛の施術に関する研究が報告されています。

最初はアメリカで

自毛植毛治療はそれら日本人医師の研究を基に、まずはアメリカで広まっていったそうです。1970年代にはノーマン・オレントライヒ博士により、「奥田・オレントライヒ法」が自毛植毛治療として普及。
さらに1993年にはアメリカで国際毛髪外科学会が開かれ、自毛植毛はそこから世界的に広まったというのです。
自毛植毛の治療は、私がAGAに悩み始める少しまえに広がり始めた技術だったのです。
確かに当時、AGAなどという症状の名称は聞いたことがありませんでした。

参考:親和クリニック大阪院 自毛植毛技術の発展
https://shinwa-osaka.jp/column/2021/06/10/development/

技術の発展で現在のMIRAI法へ

初期に行なわれていた自毛植毛は、FUTストリップ法(FUSS法)でした。
FUSS法は1995年頃に発表された、頭皮を10~20cmの横長の帯状に切除した皮膚から毛包単位で毛を分けて薄毛部分に移植するという方法です。
生着率も高く、当時は画期的な方法と言われていましたが、メスで頭皮を切除するので、痛みの違和感が強くドナー部位に帯状の傷が残ってしまうのが難点とされています。

それから6年ほど後に、FUE法が発表されました。FUE法はドナー採取の際に極細の器具を使ってグラフトを1つ1つくり抜く方法です。
FUSS法と違い大きく皮膚を切り取ることがないので、施術痕が目立たず、治りも早いという特徴があります。
ただし、高度な植毛技術を必要とする施術で、医師の技量の違いにより移植した毛髪の生着率に差が出てしまいました。

そして、私もお世話になった親和クリニックでは、独自の技法であるMIRAI法を確立。
従来のFUE法では1センチ四方に~40グラフトの移植が上限とされていたところ、MIRAI法では直径0.5mm-0.6mmの極細径パンチブレードを用いることで、より高密度で生着率の高い移植を行うことが可能になったというわけです。

早期の治療で薄毛を食い止めよう

AGAによる薄毛化はとどまることを知りません。
専門的な処置を加えない限り、その進行を抑制することは難しいです。
薄毛をあきらめてしまっている人は別ですが、そうでない方、悩まれ続けている方は、どうか一刻も早く専門医のもとでのカウンセリングを受診してください。
そこには、状況にあった解決策を医師が提示してくれるはずです。